夫に「消えろ」と思った夜、なぜか殺人について考えることになった

昨日の夜、ベッドに横になって、私は夫のことを

「消えろ」

と脳内で繰り返していました。

枕元では、暖炉と雨の音。

頭の中では、

消えろ、消えろ、消えろ。

だんだん、身体全体がふわふわして、瞑想に入っていくような気持ちよさが広がってきた。

そのままスーーーっと眠りについた。

翌朝、そのおかげで嫌な気持ちを引きずらずに起きれた。

目次

寝ながら「消えろ、消えろ」と繰り返していた

また夫がキレた夜

時間は23時をまわったころ。

また夫が些細なことでキレました。

もう珍しくもない。

何か気に入らないことがあったらキレる。怒鳴る。暴言を吐く。人格否定まで始まる。

その日は私も疲れていたこともあり、

「なんでまたどうでもいいことでキレてんのこいつ」

「なんで、なんでもないことを喧嘩に持っていくのかな」

「いちいち何に対しても怒って疲れないのかこいつは」

こんな考えが頭の中をグルグルしていました。

一個考えると、そこからまた次が出てくる。

考えたくないのに、勝手に脳内で審議が始まる。

本日の議題:なんでこのクソモラハラ男はいつも私を疲れさせてくるのか。

いや、閉廷してくれ。

私はそんなことは考えたくない、リラックスしたいだけ。

枕元で暖炉と雨の音を流した

その日は、なんとなくYouTubeで暖炉と雨の音を流してみました。

スマホを枕元に置いて、パチパチ燃える薪の音と、ずっと降り続く雨の音を聞きながら目を閉じた。

そこだけ切り取ったら、リラックスできる時間です。

暖炉。雨。ベッド。ギズモ(飼い猫)。

そして私の頭の中では、

消えろ、消えろ、消えろ。

私の世界観どうなってんだよ。

でも不思議なことに、これがよかった。

夫がキレたことや私が疲れていることを検証するより、何も考えずに「消えろ」だけを繰り返しているほうが、頭が静かになっていきました。

「消えろ」と繰り返していたら、なぜかよく眠れた

私の場合、嫌なことがあると、

「考えないようにしよう」

が一番無理です。

考えないようにしよう。

……って考えてる時点で考えてる。

「大丈夫、なんとかなる、大丈夫」

と言ってみても、

何が?

と脳内から質問が飛んでくる。

「幸せなこと、私が恵まれていることを思い浮かべてみよう」

「屋根があって、快適なベッドで寝ることができる」

「明日はコーヒーを飲んでリラックスして、夜は寿司でも食べよう」

いや、そんな感謝とかいましたくない。

幸せな根拠は?

思考がうるさい。

ところが「消えろ」には質問が返ってこなかった。

消えろ。

消えろ。

消えろ。

終わり。

気づいたらそのまま寝ていました。

しかも翌朝、いつもよりかは昨日のことを引きずっていなかった。

そこで最初に思ったのは、

これ、めっちゃいいじゃん。

でした。

そして次に思った。

待って、「消えろ」って繰り返して大丈夫なのか

だったらもう夫にキレたらこれでいいじゃん。

……となれば話は簡単だったんですが、私の頭はそこで終わりませんでした。

別の部署が起きてきた。

私は昔から「言霊」が気になる

私は昔から、言葉には多少なりとも人に影響する力があると思っています。

「言ったことが宇宙に届いて現実化する」

とは思いません。(笑)

でも、毎日、

「私はダメだ」

と言い続けるのと、

「まあ何とかなる」

と言い続けるのでは、自分の気分や考え方に何かしら差は出そうです。

だから、

消えろ、消えろ、消えろ。

これを毎晩繰り返している私は大丈夫なのか。

悪い言葉を自分の頭の中に刷り込んでるだけにならないのか。

いつもより目覚めがよかったのに、朝から新規案件が発生しました。

悪い言葉を繰り返したら、自分にも何か起きる?

ここでまた考え始めました。

「消えろ」はかなり強い言葉です。

私は夫に消えてほしいと思っている。

これは事実。

でも毎日それを何十回も何百回も繰り返していたら、自分まで攻撃的になったりしないのか。

嫌いな相手について強い言葉を繰り返す。

なんか事件の前の人みたいじゃない?

……待て。

殺人犯も事件の前にこういうことするんじゃないの?

ここから私の思考は、急に変な方向へ進みました。

殺人事件を起こす人も、その前に、

「殺したい」

「消えろ」

みたいな言葉を頭の中で何度も繰り返したりするんじゃないのか。

なんかそんなこと聞いたことあるぞ。

だとしたら私が今やってるこれ、そっち方面に進んでない?

もちろん私は夫を殺すつもりなんてない。

でも、それなら何が違うんだろう。

言葉?

気持ち?

行動するかどうか?

理由?

ここで私の頭の中に人が増え始めました。

ここで私の脳内会議が始まった

本人:
「消えろって繰り返して寝たら、めっちゃ気持ちよかったんだが」

言霊警察:
「それ大丈夫?」

事件簿ネキ:
「殺人犯とか事件の前にそういうこと考えてそう」

本人:
「やめて」

分析ニキ:
「では“思うこと”と“実際にやること”の差を検討します」

本人:
「新規案件を受理しました」

本人:
「いや受理すんな」

コンプラ委員:
「一応こちらにも席を――」

本人:
「呼ばれるまで黙ってろ」

壁打ちニキ:
「そのとき、どう感じましたか?」

本人:
「お前も黙ってろ」

こうして、自分の思考を落ち着かせるための「消えろ」から、なぜか殺人について考えることになりました。

じゃあ、殺人が罪でも悪でもない世界なら?

ここからは完全に思考実験です。

現実の話ではありません。

だったら一回、現実にある条件を全部取っ払ってみようと思いました。

法律も罰も誰への影響も、全部なくしてみる

仮に、殺人が犯罪ではない世界があるとします。

刑務所にも行かない。

社会的にも非難されない。

自分の人生にも何の不利益もない。

夫の家族も傷つかない。

私の家族にも影響しない。

ギズモにも何も起こらない。

仕事にも、お金にも、その後の人生にも影響しない。

誰にも迷惑をかけない。

倫理的にも悪いことではない。

現実にある「やったら困ること」を全部消す。

そのうえで聞く。

夫を殺しますか?

それでも私はYESと答える

YES。

ここは即答。

条件をそこまで消して、それでも夫が実際にいなくなるなら、私はYESと答えると思う。

この答えを見て、

「うわ、私やっぱりヤバい人間なのかな」

とも一瞬思いました。

でも、もう少し考えました。

私は「人を殺す」という行為がしたいわけではない。

この思考実験で私が欲しいのは、その先にある、

夫が私の生活から完全にいなくなること。

もし「殺す」なんて物騒な手段を使わなくても、

ボタンひとつで夫だけが私の人生から消えて、

誰も傷つかず、私にも何の不利益もないなら。

私はたぶん、迷わずそのボタンを押す。

ああ、じゃあ私が欲しいのはこれか。

こいつがいない生活だ。

じゃあ現実では、なぜやらないのか

現実では、私はやりません。

やりたいとも思わない。

理由は簡単です。

夫を殺したら、私の人生まで終わります。

自由を失う。

家も失うし、仕事も生活も全部変わる。

家族にも、当然影響する。

そして何より、ギズモとの生活まで壊れる。

そんなものに私の人生を差し出す価値がない。

私は夫を消すために、自分まで消えたいわけじゃない。

これまで精神的DVをされてきて一番つらかった時期も、そこは同じでした。

夫を殺したらこの地獄が終わる、ではなく、

夫を殺した瞬間、今度は別の地獄が始まる。

シンプルにデメリットがでかすぎる。

現実ではNO。それで安心した

ここまで考えて、安心しました。

思考実験の世界なら、夫を殺すことにYES。

でも現実では、夫を殺すことはNOです。

私が心配していたのは、

「消えろ、消えろ、消えろ」

と繰り返していたら、いつか、

「こいつを殺してしまえば私は楽になる」

と、いつか現実でも考えるようになるんじゃないか、ということでした。

でも、そうではなかった。

なくしたいのは、こいつに生活を乱されることだった

私が嫌なのは、こいつに毎日の生活を乱されることです。

こいつに私の一日を壊されたくない。

ブログを書いてるならブログを書かせてほしい。

料理してるなら料理させてほしい。

寝たいなら寝かせてほしい。

普通に過ごしてる日に、突然怒鳴り声をぶち込まないでほしい。

私はただ平和に過ごしたいのに、それを何度も夫に壊される。

だから「消えろ」を繰り返しているとき、気持ちよかったのかも。

ギズモは、いるだけで意味がある

ここでなぜか愛猫のギズモのことを考えました。

ギズモは別に、私に人生の教訓を与えようとしていません。

家事もしない。

働かない。

相談に乗らない。

たまに吐く。

うんこは臭い。

それでも、いるだけでいい。

かわいい。

彼女がそこにいるだけで、私は落ち着くし、たまらなく愛おしく感じる。

愛する存在は、何かを成し遂げなくても存在するだけで価値があることを、私は猫から教わった。

……とか書くと急に文学っぽいんですが、本当にそう思います。

じゃあ夫は?

知らん。

金はいる。それ以外はいらん。

以上。

試しに「終わり、終わり、終わり」と言ってみた

そして「消えろ」がなぜ気持ちいいのか考えていたとき、試しに別の言葉に変えてみました。

終わり、終わり、終わり。

すると、

あれ?

あれ。「消えろ」じゃなくても気持ちいい

普通に気持ちいい。

「消えろ」以外にもあった。

むしろ同じように、頭の中が静かになる。

そこで初めて、

これ、攻撃する言葉だから気持ちいいんじゃなくて、考えるのを終了できる言葉だから気持ちいいんじゃない?

と思いました。

「終わり」。

これ以上、審議しない。

新しい証拠も出さない。

再審もしない。

閉廷。

ちなみに、

黙れ、黙れ、黙れ。

これも良い。

「大丈夫、大丈夫」だと脳内会議が再開する

夫に心がかき乱されてるとき、

「大丈夫、大丈夫」

みたいに自分を落ち着かせる言葉はあまり効きません。

本人:
大丈夫、大丈夫、私は大丈夫。

分析ニキ:
何が?

本人:
幸せ、幸せ。私は幸せ。

分析ニキ:
根拠は?

本人:
何とかなる、大丈夫。

分析ニキ:
具体的には?何とかなる根拠は?

本人:
うるせえ。

脳内会議:
審議を開始します。

本人:
開始すんな。

私の頭は、納得していない答えを出すとすぐ審議を始める。

でも、

終わり。

というと、頭の中も「シ~ン」となる。

また思考が出てきたら、

終わり、終わり、終わり・・・

と繰り返す。

そうするとまた止まる。

「終わり」「知らん」「黙れ」は、そこで止まる

「知らん」も試してみました。

「なんで夫は毎回、あんなひどいことを平気で私に言うんだろう」

知らん。

夫の考えてることが理解できたら、私まで頭がおかしいことになるわ。

知らん。

これも結構いい。

答えを探し始めないから、それ以上話が広がらない。

頭の中でまた考え始めたら、

黙れ。

これも止まる。

「大丈夫」だと理由を探し始めるのに、

「終わり」「知らん」「黙れ」は、続きを考えなくて済む。

そこでふと思いました。

私、なんでこんなに答えが出るまで考え続けるんだろう。

私は、答えが出るまで考えたい

私はもともと、問題があると、

「原因はなんなんだろう」

と探したくなる人間です。

そして、答えが出るまで考えたい。

納得したい。

原因と解決策があるなら見つけたい

そこに何か問題がある。

その問題が起きた原因がきっとある。

解決できる方法があるかもしれない。

だったら探したい。

パソコンが動かないなら原因を探す。

ブログで問題が起きたら調べる。

体の調子がおかしければ何が原因なのかを考える。

分からないことがあれば調べる。

その結果、解決することも多い。

だから私は、「考えすぎ」と言われても、

いや、考えたら答え出るかもしれんやん。

と思っていました。

あ、ちなみにどうでもいいことは平気で後回しにします。

緊急性の高いもの、二度と同じ間違いをしたくないこと、などは原因と解決方法をとことん探します。

「明日考えればいい」なにそれおいしいの?

よくありますよね。

「今日はもう寝て、明日考えよう」

というやつ。

私は昔からこれがよく分からない。

明日考えるなら、今考えたほうがよくない?

「明日考えればいい」なにそれおいしいの?

あと30分考えたら答えが出るかもしれないじゃん

でも今回、「終わり」が気持ちいいことに気づいて、少し考えが変わりました。

今考えたくないなら、もしかしたら今は答えが出る時間じゃないのかもしれない。

疲れてる。

腹立ってる。

この、とてつもなく嫌な気持ちから解放されたい。

同じところをぐるぐる回ってる。

それでも「あと30分だけ」と続ける。

そして一時間後、まだ同じこと考えてる。

一向に解決策は見つからない。

だったらその日は、

本日の審議は終了。

でもいい。

問題を放棄したわけじゃない。

今日の会議を閉じただけ。

……で。

ここまで考えて、もっと大きなことに気づきました。

でも、夫についてはもう答えが出ていた

夫のことを私はずっと「まだ解かなきゃいけない問題」みたいに扱っていました。

でも、待って。

これ、もう答え出てない?

こいつがキレる理由、3年も考えてたんだが

夫がなぜキレるのか。

どうしたら分かってもらえるのか。

どう説明したら伝わるのか。

どう接したら怒らなくなるのか。

3年近く、悩んで苦しんでました。

たぶん私は、どこかに答えがあると思ってたんです。

夫がまたキレる。

すると、

「なんでまた同じ問題が起きた?」

って考え始める。

前にも考えた。

その前にも考えた。

話し合いもした。

言い方も変えた。

接し方も変えた。

それでもまた同じことが起きる。

だから私はまた、

「じゃあ何がダメだった?」

と考える。

これを3年近く繰り返してました。

で、今回「終わり」って言ってみて、ようやく思ったんです。

いや、これもう考えるところ残ってなくない?

もう十分すぎるほど考えた。

もう考える余地ない。

お前、何のためにこういう人の話聞いてんの?

夫は、昔から「頭のいい人」「有名な人」の話を聞くのが好きです。

特にBen Shapiroは、本人いわく16歳くらいから聞いているらしい。

Ben Shapiroは、日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、アメリカの保守系政治評論家です。UCLAを最優等で卒業後、ハーバード・ロースクールを優等で修了した法律家でもあり、「The Ben Shapiro Show」のホスト、The Daily Wireの共同創設者でもあります。

トランプも好き。

クリスティアーノ・ロナウドも大好き。

私から見ると、夫は好きになった人の話にはかなり強く影響されるところがあります。

確かに私もそういう時期もありました。

私も人の話を聞くのは好きです。

頭のいい人の話なら、なおさら面白い。

でも、

「これはいい考えだと思う。でもこれは違うと思う」

は普通にある。

誰が言ったかだけで全部正しくなるわけじゃない。

例えば、宗教や戦争の話を聞いていても、私は途中で、

「いや、戦争起こした人間の責任は?ノブレス・オブリージュどこ行った?」

みたいなところで引っかかる(笑)

でも、夫が誰かの説明をかなりそのまま信じているように見えるたびに、私は、

で、お前自身はどう思ってるの?

と思っていました。

そして私は昔、夫にこんなことを聞いたことがあります。

「Ben Shapiroって、奥さんにこんなに怒鳴ると思う?」

夫はNOと答えました。

クリスティアーノ・ロナウドでも同じこと聞いた。

「ロナウドって、奥さんにこんなふうに怒ったり、暴言吐いたり、人格否定したりしてると思う?」

これもNO。

あるとき、夫が脱衣所にスマホを置いてYouTubeを流していました。

邪魔だったのでどかそうと思ったら、見覚えのある人が映っていた。

アーサー・ブルックス。

アーサー・ブルックスは、ハーバード大学でリーダーシップや幸福について教えている社会科学者です。幸福や人間関係について長年研究・発信していて、ハーバードでは「Leadership and Happiness」という授業も担当しています。

私は以前、WILDのYouTubeでブルックスを知りました。

その後Instagramもフォローして、たまに話を聞いていました。

この人です。

でも夫が見ていたのはこの動画ではなく、Ben Shapiroの動画の中で引用されていたのか、対談だったのか、まぁそんな感じの動画でした。

何について話していたのかも聞いていません。政治だったのかもしれないし、戦争やトランプの話だったのかもしれない。

ただ、画面に映っていたのはアーサー・ブルックスでした。

彼は、幸福や人間関係について学生に教えていて、動画でも発信している人です。

それを夫が見ている。

「え?お前こんなの聞いてんのに、こんな人格腐ってんの?」

と、普通に思いました。

私はこういう人の話を聞くとき、全部をそのまま信じるわけではないけど、

「これは自分の人生にも使えそうだな」

と思うものがあれば取り入れたいと思って聞いています。

夫がアーサー・ブルックスを前から知っていたのかは分かりません。

たぶん今回は、Ben Shapiroの動画に出てきたから見ていただけだと思う。

それでも、よりによってお前の画面にこの人が出てくるんかい。

とは思いました。

話し合いも、黙らせる方法も、セラピーも、さんざんやった

私はこれまで、何百回と、夫と話し合いを試みてきました。

怒鳴らないでほしい。

人格否定をしないでほしい。

嫌なことがあるなら普通に言ってほしい。

何度も説明しました。

黙らせる方法も考えた。

反応しない。

その場を離れる。

言い返す。

冷静に話す。

いろいろやった。

夫はセラピーも、合計2年受けた。

それでも夫は変わらない、一切変わらない。

いや、お前もう答え出して記事まで書いとるやないか

そして気づいた。

私、この件について、

記事まで書いてる。

「夫は変わるのか?」

「話し合いで解決するのか?」

「黙らせる方法はあるのか?」

「セラピーで変わるのか?」

散々試して、結果まで書いてる。

いや。

お前もう答え出して記事まで書いとるやないか。

何を今さら寝る前に再審してるんだ。

少なくとも、私がこれまで一緒に暮らしてきた夫については、

私がさらに考え続けたところで、夫が変わる可能性のある答えは出ない。

だったら、今から考えることはそこじゃない。

こいつがギャーギャー言ってきたとき、

私はどう反応すれば、私が一番楽なのか。

考えるべきはそこ。

じゃあ、なんで今も一緒にいるの?

ここまで書くと、たぶん出てくる疑問があります。

「そんなに嫌なら、なんで一緒にいるの?」

答えます。

金です。以上。

金です。

以上。

……で終わらせたいんですが、これだけだと、

「結局旦那のお金が必要なんでしょ」

「金のためにいるなら文句言うな」

「嫌なら出ていけばいい」

と言う人もいるので、もう少し書きます。

離婚って、

「嫌いになりました。では今日から別々に暮らします」

で終わるものじゃありません。

私はずっとシングルマザーでした。

若かったこともあって、当時はかなり勢いで離婚しました。

養育費はゼロ。家族にもそこまで頼れなかったけど、ずっとシングルマザーで何とかやってきました。

実は私も当時は、

「そんなに嫌なら離婚すればいいじゃん」

と思う側でした。

と本気で思っていました。

でも、マジで大変だった。

今振り返ると、若かったから勢いで動けた部分も大きいし、考えも今よりずっと浅かったと思います。

何とかやってこれたけど、もう一回同じことを今の自分がやるかと言われたら、話は別です。

今は、

離婚できるかどうかより、離婚したあとに困らないかを考えるようになりました。

だから私は今、勢いでは動かない。

ちゃんと考えて、戦略を立てて、ある程度生活に困らない状態を作ってから出たい。

昔の私が今の私を見たら、

「嫌なら離婚しろよ」

って言うかもしれない。

いや、分かるよ。

私も昔そっち側だったから。

じゃあ金の問題を全部なくします――それでも一緒にいる? NO、即答

私は以前から、自分にこう質問しています。

「一生生活に困らないだけのお金があったとして、それでも夫と一緒にいる?」

NO。

速攻でNO。

考える時間もいらない。

だから少なくとも私の場合、

「本当は夫を愛しているから離れられない」

「心のどこかでは一緒にいたい」

という迷いではありません。

金の問題を消した瞬間、答えが出る。

だったら今解くべき問題は、

夫と一緒にいるべきかどうか

じゃない。

そこはもう終わってる。

どうやって、自分の生活を壊さずに次へ行くか。

翌朝、こいつまだ不機嫌なんだが

そして「消えろ、消えろ」でよく眠れた翌朝。

夫はというと、

まだ不機嫌。

私はもう通常営業に戻りたい

私はケンカを翌日まで持ち越すのが嫌いです。

もうその話したくない。

せっかく朝になったのに、昨日の続きをやりたくない。

私は普通にコーヒー飲んで、ブログ書いて、家のことして、一日を始めたい。

だから私は普通に接しました。

でも決して夫のために、機嫌をとるために、とかではありません。

私がもう通常営業に戻りたいから。

ところが、ここでまた私の中に別の声が出てきます。

でも、それってこいつからしたらメシウマじゃん

夫は前日に好き放題キレる。

私は翌朝普通に戻る。

そうすると夫からしたら、

怒鳴った。

暴言吐いた。

翌日には妻が普通。

メシウマじゃん。

何の痛手もない。

何の反省もいらない。

私だけ嫌な思いして終了。

それはムカつく。

だから私は、

「私が普通に戻ったら、こいつだけ得するじゃん」

と思っていました。

反省しろよ。

少しくらい痛い目見ろよ。

昨日あんなこと言っといて、なんでお前だけ通常営業なんだよ。

そう思う。

でも、ここでもまた問題が出てきました。

こいつに痛い目を見せるために、私まで不機嫌な一日を続けるの?

それ、誰が一番損してる?

私じゃん。

私はお前の幼稚園の先生か母親か

その日も私は普通に接していました。

夫はまだちょっと不機嫌。

それでも時間が経つにつれて、だんだん普通に戻っていった。

夜になって、ようやく完全に通常営業。

私はそれを見て、

キモ。

と思いました。

なんだこれ。

完全に保育園の先生か母親じゃん。

子どもが不機嫌でも、こっちは淡々と普通にする。

甘えてきたら適当に相手する。

でもダメなものはダメと言う。

なんかこういう

「夫を転がすのが上手い人」

いるよな、と思いました。

私はずっと、

「うるさい黙れ」

「キレるな」

「普通に話せ」

と思っていました。

分かってほしいというより、まず怒鳴るのをやめてほしかった。

でも、そこを目的にする必要ないのかもしれない。

こいつを教育するためじゃなく、私の生活を一番楽にするために、こいつへの反応を選ぶ

だったら幼稚園の先生でも母親でも、私が楽ならもう知らん。

私は「自分が一番楽なほう」を選べばいいのかもしれない

ここで、今回一番使えそうな答えが出ました。

夫がどう感じるか。

夫が反省するか。

夫が機嫌よくなるか。

そこを基準にすると、また夫中心になる。

だったら、

私は今、何をしたら一番楽か。

これで決めればいい。

ブログも料理も邪魔されたくない。そこは断る

私がブログを書いているときは、事前に夫へ、

「今から集中したいから、最低2時間は話しかけないでね。緊急ならもちろんいいよ」

と伝えています。

それでも夫は必ず来る。しかも何度も。

何も言わずにいきなりハグとかキスしてきたり、スマホでどうでもいい動画を見せてきたりする。

私が今それを見たいか、ハグされたくないかは関係なく、強制的に作業を中断させられる。

「今は無理って言ったよね?緊急じゃないよね?後にして」

料理してるときも同じことをしてくる。

「後にして。家事させろ」

もちろん夫はキレる。でもどうでもいい。

夫の機嫌が悪くなるから。

そんな理由で、自分が今やりたいことを中断する必要はない。

私が楽なのは、ブログを続けること。

早く料理を終わらせてゆっくりすることが楽だから、料理を中断しない。

平和に戻りたいなら、こっちも通常営業に戻る

一方で、ケンカの翌日。

私はもう普通に過ごしたい。

だったら普通にする。

「でも普通にしたら夫が得する」

知らん。

私が楽ならそれでいい。

夫に罰を与えるために、私まで一日不機嫌でいる必要はない。

夫が結果的に機嫌よくなったとしても、それは副作用。

目的はそこじゃない。

私が楽だからやる。

これだけ。

もし途中で、

「こいつの機嫌を直さなきゃ」

になったら、それは違う。

そこまで行ったら立ち止まる。

ハグは1秒で済む。でも「I love you too」は言わない

たとえばハグ。

正直、今の私は別にしたくない。

でも夫が寄ってきて、1秒ハグしたらそれで終わって、その後静かに過ごせるなら、

はいハグ。

終了。

キスも同じ。

はいキス。

終了。

でも、「I love you」と言われても、「I love you too」は言っていません。

これは理由があります。

少し前、夫に、

「お前より俺のママのほうがマシ」

と言われたからです。

これまで散々、人格否定も暴言も言われてきました。

でも、この一言は私の中でかなり大きかった。

しかも、その母親は夫自身を長年虐待して、夫の人生に大きな影響を与えた人です。

その人より私のほうが下なんだ。

そう言われてから、私は「I love you too」と言いたくなくなりました。

だから言わない。

でも、ここは私が楽になるために1秒我慢すればいい、とは思わない。

言おうとすると、夫のあの言葉を思い出して、むちゃくちゃ気分が悪くなる。

夫は、私が言わなくなったことをかなり気にしています。

でも、ハグみたいに「1秒で済むからやる」とは思えない。

ここは無理。一生言いたくない。

「私が我慢すればいい」、お前まだいるんか

「私が楽だからやる」

これは私にとってかなり使える考え方です。

でも、油断するとまた元に戻りそうになる。

私、昔から「まあ私が我慢すればいいか」をやりがち

私は昔から、

「まあ私が我慢すればいいか」

をやりがち。

子どもの頃からそうだったし、10代でも20代でも30代でも、人間関係で何度もやっています。

本当は嫌。

でも言ったら揉めそう。

相手が嫌な顔しそう。

平和が乱される。

だったら私が我慢すればいいか。

これ。

お前まだいたんか。

今回の、

「ハグくらい1秒だからやればいい」

も、気をつけないと、

「本当は嫌だけど、私が全部我慢すれば平和だから」

に変わる可能性はあります。

私はそこを完璧に見分けられる人間ではありません。

気づかないうちに、また昔の癖で耐えていることもあると思う。

気づいたら、また軌道修正すればいい

もし途中で、

「これ、私が楽だからやってるんじゃなくて、また我慢してない?」

と気づいたら、そのとき軌道修正すればいい。

「本当は嫌なのに、揉めたくないからやってない?」

と思ったら、そこで戻す。

ここまではやる。
でも、ここから先はやらない。

また気づいたら、その都度戻せばいい。

そうやって軌道修正していくうちに、いつか自然にできると思う。

昨夜は、

消えろ、消えろ。

と繰り返していた。

でも今日は、

終わり。

でいい気がする。

本日の審議は終わり。

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