今回の記事を書くにあたってモラハラについて調べていたとき、ふと目にとまったのが「洗脳」という言葉でした。
当時の私は、「自分は洗脳されている」なんて全く思っていませんでした。
毎日の暴言や怒鳴り声に追い詰められ、
「どうすればこの苦しみから逃げられるか」
だけで頭がいっぱい。
苦しい。でも説明できない。
何で私がこんな目に?何が悪かったの?
考えるのも疲れて、「死にたい」とすら思っていました。
当時の私の状態をひとつずつ整理していくと、確かに「洗脳状態」に当てはまる部分もありました。
でも、完全に洗脳されて自分を見失っていたかと言えば、そうでもなかった。
じゃあ、あのころの私は一体どういう状態だったんだ。
当時の心境を分析してみることにしました。
そもそも洗脳とは
「洗脳」という言葉を調べてみると、本来はかなり強い意味を持つ言葉でした。
一般には、強制的な働きかけによって、その人がもともと持っていた考え方や信念を大きく変えさせることを指します。
これだけ見ると、
「いや、私そこまでだったか?」
と思います(笑)
一方、ネットで「モラハラによる洗脳」として挙げられているものを見ると、
- 自分を責めるようになる
- 相手の顔色をうかがう
- 自分の感覚を疑う
- 相手を支えなきゃと思う
- 自分が変われば関係が変わると思う
などが、「モラハラによる洗脳状態のサイン」として挙げられていました。
いや、もうどっちやねん。
というわけで、夫の言動と当時の私を照らし合わせて、私は「洗脳状態」だったのか判定してみます。
夫の言動は「おかしい」と思ってた
怒鳴って人格否定をする「普通じゃない」夫
夫は、意見が食い違ったときだけでなく、普通なら怒鳴るような場面でもないのに突然キレたり、ほんの小さなことで感情を爆発させます。
なぜそんなに怒っているのか、理由を本人に聞いても、夫は怒鳴り続けるだけ。
さらに、
「お前が悪い」
「お前は悪魔だ」
「地獄に落ちろ」
「お前みたいな女と結婚したのが間違いだった」
と、なぜか論点がズレて、最終的には私の人格否定になります。
私はそのたびに、
「普通、そこまで怒る?」
と思います。
怒鳴って話し合いを潰す夫
私は、話し合いの途中で怒鳴って相手を圧倒した時点で、その人の負けだと思っています。
勝ち負けで話すのは好きではありませんが、これは圧倒的に大負けです。
そんなことする人、人としてどうかしてると思います。
夫も、そういう人です。
そもそも、話し合いって一方通行ではありません。
というか、普通の会話だって、片方だけが一方的に怒鳴っていたら成立しません。
夫の場合、
「怒りを出すところ、毎回間違ってるよ」
と思っていますし、本人にも何度も言ったことがあります(笑)
とはいえ、人間なので、腹が立つことくらいあるでしょう。
じゃあ仮に、100歩譲って、夫がキレたのはいいとしよう。
でも、
「何に怒ったのか」
「何が嫌だったのか」
それすらも夫は説明しません。
いえ、できないんでしょうね。
「お前が悪い!!!」
「お前は最低だ!!!」
を大声で繰り返すだけ。
話が全くかみ合っていません。
怒るってことは、それなりの理由があるから怒ったんだよね?
だったら、
「何に怒ったのか」
「何が嫌だったのか」
くらい説明できないとおかしくない?
でも夫は、それすらせずに怒鳴って、人格否定して、最後は「お前が悪い」。
「いや、私は毎回何に付き合わされてるんだ?」
と思います。
それでも「私が変われば関係も変わる」と思っていた
当時の私は、
「人は変えられない。だから自分が変わろう」
という考え方をかなり信じていました。
笑顔で接すれば、相手も穏やかになる。
こちらが譲れば、相手も少し柔らかくなる。
相手の話をきちんと聴けば、相手も自分の問題に向き合うようになる。
でも、これが成立するのは、相手もこちらを尊重していることが前提です。
私は笑顔で接しても怒鳴られました。
我慢して譲っても怒鳴られました。
話を聴いて、共感して、寄り添っても、夫は自分の問題を私になすりつけました。
当時の私は、
「自分が変われば相手も変わる」
という考えには、相手側にも必要な前提があることを完全に見落としていました。
自分の言い方や接し方に原因を探していた
夫はこんなクソ暴言野郎なのに、私は最初から「こいつが悪い」と決めつけることはせず、
「私の言い方や接し方にも悪かったところがあったんじゃないか」と、自分のほうも振り返っていました。
相手が理不尽だったとしても、
「でも私も完璧じゃないしな」
「私の言い方で気に障ったことがあったのかな?」
と、一応自分の側を考えます。
そして、何かを言う前にも、
「これを言ったら相手がどう思うかな?」
ということもできるだけ考えてから発言します。
だから夫が明らかにおかしな怒り方をしていても、
「夫はおかしい。でも私にも改善できるところはあるかもしれない」
と考えて、
「私が変わる=夫もいつか変わるかもしれない」
という一生成立しない公式を信じて、私ばかりが言い方や接し方を変えるという盛大な勘違いをしていましたw
相手から理不尽なことをされていても、自分の側に原因を探してしまうのは、私だけではないようです。
2025年に、パートナーから暴力を受けた女性について、これまでの12本の研究をまとめたレビューが発表されています。
その中で、特に多く報告されていたのが、「自分にも責任がある」と自分を責めることでした。
ここで扱われている暴力には、身体的な暴力だけでなく、精神的な暴力や性的暴力、相手を支配するような行動も含まれています。
感情的になる自分を「未熟」だと思っていた
10代、20代のころの私は、今よりずっと血気盛んでした。
でも30代に入ってからは、少しずつ落ち着いてきたというか、よく言えば成熟してきたというか(笑)
でも、もともと私は肝が据わっているほうなので、必要以上に騒いだり感情をぶつけたりするのは苦手です。
むしろ年齢を重ねるにつれて、
「そんなことに無駄なエネルギー使いたくない」
と、ますます思うようになりました。
だからこそ、むやみやたらに感情的になる人が苦手です。
「金持ち喧嘩せず」とも言うし、
小さい犬ほどよく吠える。
だから夫に怒鳴られたり、理不尽なことを言われたりして、私まで腹が立つと、
「私も感情的になってるな」
「もっと冷静に対応できないのかな」
「こんなことでイライラする私も、まだ未熟なのかも」
と考えていました。
夫が怒鳴っていることよりも、それに反応している自分のほうを直そうとしていたんです。
妻というより、母親や幼稚園の先生になっていた
当時の私は、夫との関係を良くするために、
- 夫の怒りを受け止める
- 虐待で傷ついている夫を支える
- 大きな愛で見守る
- 夫のペースで変化を待つ
ということを毎日何度も時間をかけてやっていました。
そのときの私は、「私は母親役をしている」と思っていたわけではなく、
「縁があって結婚したんだから支えよう」
「この人も傷ついてきたんだから、長い目で見よう」
と思っていました。
でも、やっていたことはどう見ても母親か幼稚園の先生。
夫婦って、片方が片方を育てるシステムでしたっけ?
じゃあ私は、モラハラで「洗脳」されていたのか?
ここまで当時の自分を振り返ってきたところで、最初の「洗脳だったのか判定」に戻ります。
当時の状態すべてが「洗脳」だったわけではない
ここまで書いてきたことを分けて考えると、
「自分が変われば夫の暴言も収まるかもしれない」
という考え自体は、夫にそう思わされたものではなく、もともと私自身が持っていた考え方です。
今回、洗脳について調べ始めたときは、こういう自分の考え方まで含めて「洗脳だったのかも」と考えていました。
でも、一つずつ見ていくと、全部が全部、夫に植え付けられたものではないことに気づきます。
でも、夫の影響を受けていなかったわけでもない
夫は怒鳴ったり人格否定したりするだけでなく、
「俺はそんなこと言っていない」
「お前の記憶がおかしい」
「お前が間違っている」
などと、自分に都合のいいように話を変えます。
何度も否定されるうちに、私は次第に自分の記憶や感覚に自信が持てなくなっていきました。
「私がおかしいのかな」
「思い違いかな」
と、気づかないうちに自分を疑うようになってしまいました。
これはまさに、ガスライティングの影響だったと思います。
ただ、夫が私を洗脳しようとして、
「こいつの記憶を狂わせてやろう」
と計画的にやっていたとは思えません。
どう考えても、そんなことを考えて暴言を吐いたり怒鳴ったりするほど頭がいいとは思えません。
でも、私は夫の暴言や怒鳴り声で、かなりの精神的ダメージを負いました。
そうなれば、自分の記憶や判断に自信がなくなるのも無理はないと思います。
まとめ|洗脳されていたかどうかより、大切だったこと
ここまで分析しておいて、ぶっちゃけ、
私は「洗脳されていたのか、されていなかったのか」を白黒つけることができませんでした。
夫の暴言やガスライティングが続く中で、自分の記憶や判断に自信をなくしていったことを「洗脳」と呼ぶのか。
それとも、長く精神的DVを受け続けたことで、判断力や自分への信頼が揺らいでいたと考えるのか。
ていうかさ・・・
ハッキリ言って、夫からのモラハラで苦しい人にとって、そんなことはどっちでもいいと思うのよ。
そんなことより、モラハラによる苦しみから逃れたいのよ。
だったら見るべきなのは、「これは洗脳なのか」じゃなくて、自分が今どうなってるか。
「私、今かなり限界じゃない?」
「私、ほんとはこれ嫌じゃない?」
「また自分ばっかり変えようとしてない?」
相手を理解しようとしたり、自分にも悪いところがなかったか考えたりする人ほど、自分がどれだけ削られているかに気づくのが遅くなって、モラハラから抜け出しにくくなることもあるんだと思います。